熊本県議会 2045-06-01 06月11日-02号
昨年暮れ以来のポーランド問題や、ことし四月に入りましてから突発いたしましたフォークランド諸島をめぐる紛争を見るまでもなく、国際社会におきましては、多極化の進展と国際緊張の高まりが続いております。
昨年暮れ以来のポーランド問題や、ことし四月に入りましてから突発いたしましたフォークランド諸島をめぐる紛争を見るまでもなく、国際社会におきましては、多極化の進展と国際緊張の高まりが続いております。
借り入れ、財源の工面の仕方ということであるが、昔、フォークランド紛争があった。橋本内閣であったと思うが、結局アフリカの石油基地を守るために石油にプラス何円であったか、上乗せして税金をとった。それで2兆円か3兆円であったか、日本の分は払ったのである。
首相就任と同時にアルゼンチンとの間にフォークランド諸島をめぐって紛争が起こった時に、果断な決断で軍隊を送り、瞬く間に問題を解決したわけですが、そのフォークランド紛争と当時のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を混同してしまったり、サッチャーさんを支えたご主人の死も忘れているという状況だということを長女が明かされたわけでございます。記憶力が抜群だったサッチャーさんですら、認知症になる。
1982年、昭和57年、フォークランド紛争で鉄の意思を貫いたサッチャーは、自嘲ぎみであった国民に自信と誇りを与えた。我が国は、どんなことをしても国民を守ってくれるという信頼関係を与えた。それに対して日本は今、ちょうどフォークランド紛争前夜のイギリスと似ている。
話は少し飛びますけど、かつてフォークランド紛争というのがありました。御存じでしょう。若い人は知らんかもしれんが、フォークランド紛争というのがありました。そのフォークランド紛争で、アルゼンチン軍とイギリス軍との戦いでありましたが、アルゼンチン軍の兵士は、訓練のときに昔ながらの黒い的を標的に用いていたわけです。ですから、実際に現実の人間を見たときには、当然撃つのをためらうわけです。
◯議長(山根英明君)9番伊藤美都夫議員 ◯9番(伊藤美都夫君)竹島の問題は最後にしたいと思いますが、今から25年前といいますと、1982年、イギリスは領有している南太平洋のフォークランド諸島、何千キロも離れているフォークランド諸島がアルゼンチン軍に上陸され、占拠されたという事件がありました。
私も、いろんな関心があって何となく思い出すことがありましたけれども、当時のアルゼンチンに対して関心がありましたので覚えていることがありましたが、かつて、ペロン政権という政権がありまして、この政権はばらまき政治をやりまして、フォークランド紛争などもありまして、フォークランド紛争で戦費がかさんで金がなかったと、立て直す政策もなかったということを何なく覚えておりますけれども、私としては、必然的にモラトリアム
フォークランド紛争の後のイギリスのサッチャー首相、そして、湾岸戦争の後のアメリカ・ブッシュ大統領は、それぞれ戦死された兵士の家族に対し、一軒一軒に電話をかけ、手紙を書いて、悲しみをともにされたそうであります。もちろん政治家は時として当事者への感情移入を慎まなければなりません。
それはなぜかと言いますと、アルゼンチンの隣のフォークランド諸島、これがアルゼンチンにイギリス領が乗っ取られてしまったと。それは、自分が反撃するのに非常に迷っていて遅かった。そのために、なかなかフォークランド諸島を取り返すことができなかった。そういうような反省から、実はアメリカの大統領に進言したのは私なのです。したがって、すぐイラクに攻撃をしたという話をされたのです。
1986年、英国で初めて発生して以来、昨年フランスで発生確認され、欧州13カ国とカナダ、オマーン、クウェート、フォークランド諸島で発生しているのです。私も新聞報道による知識でありますが、狂牛病は、動物が生まれながらに持っている特殊なたんぱく質プリオンの立体構造が異常になって起こる病気と言われております。
例えば、タラをめぐるノルウェーとアイスランド船の争い、カナダの東海岸沖では、ターボットをめぐるカナダとスペインの争い、ミクロネシアでは、中国とマーシャル諸島共和国との争い、フォークランド島漁場をめぐるアルゼンチンと台湾の争い、セレベスでのインドネシアとフィリピンの争い。
ところが、このサッチャー氏は、あのフォークランド紛争を思い返していただきたいと思います。フォークランド諸島に対して、アルゼンチンが武力でもってあれを領有した。そのことについては、当然私は非難されるべきであると思います。しかし、それを少なくとも国際世論の力で解決するんではなしに、サッチャー氏はみずからイギリス軍をこのフォークランド諸島に送って、そして武力でもってこれを撃退いたしました。
イカはことしも依然としてなかなか──とれることはとれるんです、フォークランド漁場からこの間八戸へ水揚げされたし、相当な量が入ってるようでありますが、遺憾ながら価格については、低迷と申し上げたらいいか、思ったような価格になれない、こういったことでどうも減船がまたぞろ話題にされつつあるわけであります。これらの対応策等について水産部長から答えさしていただきます。
アルゼンチン沖フォークランドもあるし、ニュージーランドのイカもあるわけでありますが、ニュージーランドについては、タスマンベイ──タスマン湾の沿岸にあるネルソンという港、これは県から技術者が行って指導もしてるわけでありますが──指導は主としてホタテの方かもしれませんが、それにしても日本とかかわりのある場所柄であります。
かつてイギリスでは、フォークランド紛争による戦費調達で、8%であった消費税を15%に引き上げております。一方アメリカは、付加価値を対象にした大型間接税は、国税の中には採用しておりません。
あのイギリスとアルゼンチンの戦いになったフォークランド戦争を思い出してください。今の戦争は、人が多く住み、交通網も発達し、人々がひしめいているところでは発生しないのであります。人が住むことを拒んだ、中央政府の恩恵が伝播しなくなったところより起こるのであります。イギリスのフォークランド島政策は仕方がないにしても、これを見るごとく、人が住まなくなったところから紛争は起きる場合が多いのです。
また、海外イカ釣り漁業の進展に伴い中積み船の入港が著しく増加し、今年度のニュージーランド及びフォークランド海域の中積み船の場合は、接岸岸壁の確保はまさに限界に達している状況にあったわけであります。
遠洋から締め出されるわけでありますから、その抜け道をやっぱり近海、沿岸に求めていかなければならない、なるほど外洋にも漁場は残ってる──ニュージーランド、アルゼンチン、フォークランド、あるいは中部太平洋等にもあることはあるんでありますが、やっぱり重点を近海あるいは沿岸に置いて栽培漁業の振興を図っていく、今までホタテだとかサケだとかアワビだとか手がけてき、ほぼ成功しながら今日まで来てるわけでありますが、
二年前の英国・フォークランド戦争の際は、国論は統一され、愛国心は盛り上がったのをはじめ、デンマークやスイスのように、北海道か九州ほどの面積で人口は五、六百万の小国でも愛国心は旺盛で、どこに行っても必ずその国の国旗が掲揚されております。ガイドの説明でも、祖国を愛する気持ちは人一倍だと言っておりました。
こういったことのために、一つには、沿岸・沖合漁業について新たな漁場開発──新たな漁場開発は、沿岸、沖合のほかに遠洋にも求めてもよかろうと思うわけで、ニュージーランドありフォークランドあり、ほかにも、天皇海山でしょうか、太平洋のど真ん中あたりにも有望な場所がなくはない。新たな漁場開発を考えなければならない。